関ジャニ∞のメンバーとして知られる横山裕さん。
その明るい笑顔の裏には、壮絶な生い立ちと複雑な家族関係が隠されていました。
そこで今回は、
- 横山裕の生い立ちと父親との関係!
- 知られざる幼少期のエピソード
についてお伝えしていきます。
これまでの、横山裕さんの壮絶な生い立ちと、父親たちとの複雑な関係性を、詳しく見ていきます。
それではいきます。
横山裕の生い立ち 幼少期の環境

横山裕さんは1981年5月9日、大阪府で生まれました。
一見裕福な家庭に生まれた一人っ子でしたが、その幼少期は決して平坦ではなかったのです。
3歳での両親の離婚
わずか3歳の時に、横山さんの両親は離婚します。
この出来事について、横山さんは、今でも、「父と母が車の中でしゃべっている内容をはっきりと覚えている」と言っています。
その内容は別れ話なのです。
よく記憶が薄れなかったですね。
そしてわずか3歳の横山さんは、の父親の顔は全く記憶にないそうで、親権は母親が持つことになります。
5歳での母親の再婚
横山さんが5歳の時、母親は再婚します。
現在の「横山」という姓は、この義父から来ています。
しかし、義父との関係は決して良好なものではなかったです。
義父から突然「今日からお父さんと呼びなさい」と言われると、そんなの言えないと横山さんはいいます。
すかさず義父から「早く呼べ!」と頭を叩かれるなど、幼い横山さんは全く、義父に馴染めなかったのです。
そのため、団地の2階上に住む祖父母に預けられ、横山さんは、しばらくそこで暮らします。
祖父母との生活
義父との関係に悩む中で、祖父母は横山さんにとって唯一の心の支えでした。
団地での生活は、幼い横山さんにとって安らぎの場所だったのです。
しかし、小学5年生の頃に祖父が心臓の病気で他界。
その後、再び母親・義父・異父弟2人との7人家族での生活が始まりました。
横山裕と父親の関係 複雑な家族事情

実父との関係
横山さんの実父との関係は、ほとんど存在しないと言っても過言ではありませんね。
3歳での離婚以降、実父との接点はなく、顔さえ覚えていないのです。
義父との確執
義父との関係は、幼少期から現在に至るまで複雑なものがあります。
幼い頃の厳しい扱いから始まり、母親の病気をきっかけに離婚します。
まったく、横山さんにとって義父は複雑な感情を抱く存在です。
現在でも横山さんは義父に対して「今でも許せない部分がある」と複雑な思いを抱えている、と言っています。
一方で「何年も会っていないことがずっと引っかかっている」とも語っており、完全に拒絶はしていないのです。
知られざる横山裕の幼少期エピソード

ジャニーズ入りのきっかけ
横山さんがジャニーズ事務所に入ったきっかけは、実は母親の行動でした。
中学2年生の時、母親が横山さんの同級生がジャニーズJr.としてテレビに出ているのを見ます。
そこで「うちの子の方がかっこええ」「うちの息子も入れるんちゃうか?」と思い、勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送ったのがきっかけです。
ジャニー喜多川さんとの運命的な出会い
オーディションでは不合格になったものの、帰り道のトイレでジャニー喜多川さんに偶然出会います。
そこで「You、舞台見にくる?」と声をかけられ、奇跡の合格となりました。
建設現場とジャニーズJr.の二重生活
中学卒業後、家計を支えるために建設会社に就職した横山さん。
がれきを片付けたり、足場を組む肉体労働をしながら、ジャニーズJr.として活動します。
他のジュニアが制服でレッスンに来る中、横山さんだけは建設現場の作業着(ニッカポッカ)で通います。
事務所の人から「夢を売る仕事なのに、そんな格好で来るな!」と怒られ、それ以降は駅のトイレで私服に着替えてからレッスンに参加するようになったという切ないエピソードもあります。
まとめ
横山裕さんの生い立ちは、3歳での両親の離婚から始まります。
そして義父との確執、建設現場での肉体労働、母親の突然の死、弟たちの養育まで、まさに壮絶な人生です。
しかし、この試練を乗り越えて今の明るい横山さんがあることを思うと、その強さと家族愛の深さに心を打たれます。
最後に、
複雑な家族関係の中、くじけずに、自身の夢と、家族を守った横山さん。
そして彼の人間性やアーティストとしての魅力がより一層、多くの人々に勇気と希望を与え続けるのです。
さいごまでありがとうございました。
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