みなさんは、あの美しく気高い言葉の奥に、
どれほど過酷な人生が隠されていたか、ご存じでしょうか。
華やかな衣装、圧倒的な存在感、そして人の心を見抜くような深い言葉。
その姿からは想像もできないほど、幼少期から青春時代にかけて、壮絶な人生を体験します。
彼は「死」「戦争」「貧困」「差別」という、あまりにも重い現実を生き抜いてきました。
なぜ美輪明宏さんの言葉は、あれほどまでに人の心を打つのか。
なぜあの人は、苦しみの中でも「愛」と「美」を語り続けることができたのか。
今回は、
- その壮絶な生い立ち
- 戦後の青春時代
- 愛と美の哲学とは
を、たどりながら、
美輪明宏さんの強さの原点に迫ります。
美輪明宏の生い立ちが壮絶!長崎で過ごした幼少期と原爆体験

美輪明宏さんは1935年5月15日、長崎県長崎市で生まれました。
本名は丸山明宏さんです。
長崎は国際色豊かな港町であり、西洋と日本が共存する独特の雰囲気を持つ街でした。
実家は花街の近くでカフェーを営んでおり、周囲には劇場や楽器店が並んでいたそうです。
そのため幼い頃から音楽や演劇に囲まれ、芸術的な感性が自然と磨かれました。
しかし、家庭環境は恵まれていたわけではありません。
美輪さんは2歳の時に実母を亡くします。
その後育ててくれた母親にも、9歳の時に亡くしています。
小さい頃から死を身近に感じてきました。2歳で実母をなくし、9歳の時には2人目の母を亡くしました。
引用元:読売新聞
幼い頃から大切な家族との別れを経験。

生と死について深く、敏感になったようね。
そして10歳の時、人生を大きく変える出来事が起こりました。
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されたのです。
当時、美輪さんは自宅で絵を描いていたそうです。
突然の強烈な閃光と爆音に襲われ、家全体が激しく揺れたと後年語っています。
外へ出ると、そこには悲惨な光景が広がっていました。
この原爆体験は、美輪さんの心にナイフのごとく突き刺さります。
この光よって、人々の命や暮らしが一瞬で喪失。
そのことで、「何が本当に正しいのかを自分自身で考える」という姿勢が生まれたそうです。
戦後の貧困と差別を乗り越えた美輪明宏の青春時代

終戦後、美輪さんは音楽の才能を認められ、本格的に声楽を学びました。
中学卒業後は上京。
国立音楽大学附属高校へ進学しました。
しかし、その夢は長く続かなかった。
高校1年生の冬に実家が経済的に破綻。
学業を続けることが難しくなったのです。
やむなく学校を離れた美輪さんは、厳しい生活になります。

そこで美輪さんは、米軍キャンプで歌を披露したり、キャバレーで働きます。

生活は苦しい。
それでも音楽への情熱を失うことはありませんでした。
粘り強く、努力を重ねた結果、銀座の有名シャンソン喫茶「銀巴里」で歌うチャンスを得ます。
そして1957年、「メケメケ」が大ヒット。
一躍注目のシャンソン歌手として、踊り出ます。
しかし、そこには意外な落とし穴が!
当時の日本社会では、性的少数者に対する理解は皆無でした。
美輪さんは偏見や中傷にさらされます。
それでも美輪さんは、自分らしさを隠さず生きることを選びます。
周囲から心ない言葉があったといいます。
が、それでも信念を曲げることはありませんでした。
こうした経験が、人の痛みと、多様性を尊重する人生観につながっているのかもしれません。
美輪明宏が語る「愛と美」の哲学とは?苦難が生んだ人生観

美輪明宏さんを語るうえで欠かせないのが、「愛」と「美」を大切にする人生哲学です。
その象徴ともいえる作品が「ヨイトマケの唄」です。
ヨイトマケの唄
引用元:you tube
この楽曲は、炭鉱で働く人々に心を動かされたことをきっかけに生まれました。
貧しいながらも懸命に生きる人々。
そこには敬意と愛情が込められており、多くの人の心を打つ名曲として今も語り継がれています。
歌を聞くと胸に沁みます。
美輪さんはこれまで数多くの苦難を経験してきました。

母親との死別。
原爆による戦争体験。
戦後の貧困。
社会からの偏見や差別。
それでも憎しみではなく、「愛」を選び続けてきたのです。
だからこそ、美輪さんの言葉には重みがあるんだよね。
単なる理想論ではありませんよ。
自ら苦しみを経験したうえで語られる言葉。
だからこそ、多くの人の胸に響くのでしょう。
また、美輪さんはいいます。
「良いことも悪いことも永遠には続かない」と。
人生には必ず浮き沈みがあります。
それでも希望を失わないことが大切だと伝え続けています。

「人は誰しも幸せになる権利がある」
「相手に向けられた刃物を、自分に向けてはいけない」と語る。
せっかく生まれてきたのだから、人は誰しも幸せになる権利があります。もし、差別やいじめを受け、悪口に苦しんでいても、相手と同じような「刃物」を決して自分には向けないでください。いじめる人は、人格的に最低な人間なのですから。
引用元:読売新聞
それは、苦しみを知らない人の慰めではなく、苦しみの底から這い上がってきた人の、生きた言葉なんだよね。
またこんなことも、
苦しい時こそ、「ルンルン」と口ずさんでください。「困ったな、ルンルン」と。そう言っているうちに、プラス思考になり、冷静になる瞬間が生まれます。凝り固まったマイナスの発想を転換し、突破口を開くことにつながりますよ。
引用元:読売新聞
その言葉に励まされた人は少なくありません。
本当気持ちが楽になるよね。
まとめ
美輪明宏さんの人生を振り返ると、本当の強さとは、傷つかないことではありません。
傷ついてもなお、愛を失わないことなのだと、気づかされます。
10歳で原爆を体験。
戦後の貧困を生き、差別にさらされる。
それでも人を励ます歌を歌う。
そして人の心を照らす言葉を届け続けた、
だからこそ、美輪明宏さんの言葉には重みがあり、私たちの胸にも、届くのかもしれませんね。
もし今、苦しい人がいるなら、美輪さんの人生は、こう語りかけてくれます。
「絶望の中でも、人は美しく生きられる」と。
そして、「せっかく生まれてきたのだから、幸せになる権利がある」と。
この言葉を、今日を生きるあなたへ届けたいと思います。
生の魂。
死の魂。
苦の魂に快楽の魂。
全てが一つの愛の魂。
それではこれで。
ありがとうございました。

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